大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)48号 判決

昭和四八年(ネ)第七三号事件控訴人

同年(ネ)第一一〇号事件被控訴人(以下控訴人という。)

同年(ネ)第四八号事件被控訴人 同盟交通株式会社

右代表者代表取締役 金子正治

昭和四八年(ネ)第七三号事件控訴人(以下控訴人という。) 内田新治

右控訴人両名訴訟代理人弁護士 相川汎

昭和四八年(ネ)第七三号事件被控訴人

同年(ネ)第一一〇号事件控訴人(以下被控訴人という。) 須崎邦吉

昭和四八年(ネ)第七三号事件被控訴人

同年(ネ)第一一〇号事件控訴人(以下被控訴人という。) 須崎志げ

右被控訴人両名訴訟代理人弁護士 椎原国隆

同訴訟復代理人弁護士 西村雅男

同 園田峯生

同 田嶋春一

昭和四八年(ネ)第七三号事件被控訴人

同年(ネ)第四八号事件控訴人(以下被控訴人という。) 鈴木正一

昭和四八年(ネ)第七三号事件被控訴人

同年(ネ)第四八号事件控訴人(以下被控訴人という。) 鈴木イチ

右被控訴人両名訴訟代理人弁護士 坂根徳博

主文

一  控訴人同盟交通株式会社及び同内田新治の被控訴人須崎志げ、同鈴木正一及び同鈴木イチに対する本件控訴をいずれも棄却する。

二  原判決中被控訴人四名の控訴人同盟交通株式会社に対する部分及び被控訴人須崎邦吉と控訴人内田新治に関する部分を次のとおり変更する。

(1)  控訴人同盟交通株式会社は、

被控訴人須崎邦吉に対し、一三九四万三六六六円及び、うち一二五四万三六六六円に対しては昭和四二年四月一日から、うち五〇万円に対しては同四八年三月一日から、うち九〇万円に対しては本判決確定の日の翌日から、

被控訴人須崎志げに対し、一三四四万三六六六円及びうち一二五四万三六六六円に対しては同四二年四月一日から、うち九〇万円に対しては本判決確定の日の翌日から、

被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチに対し、各一四七〇万二四〇二円及びうち各一三四〇万二四〇二円に対しては同四二年四月一日から、うち各一三〇万円に対しては本判決確定の日の翌日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  控訴人内田新治は、被控訴人須崎邦吉に対し、四二一万四七六九円及びうち三七一万四七六九円に対しては昭和四二年一〇月一八日から、うち五〇万円に対しては同四八年三月一日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  被控訴人四名の控訴人同盟交通株式会社に対するその余の請求(当審における拡張部分を含む)をいずれも棄却する。

三  控訴人同盟交通株式会社及び同内田新治の被控訴人須崎邦吉に対する本件控訴中その余の部分をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、控訴人同盟交通株式会社及び同内田新治と被控訴人須崎邦吉及び同須崎志げとの間では、第一、二審を通じ、これを一〇分し、その一を同被控訴人両名の負担とし、その余を控訴人両名の連帯負担とし、

控訴人同盟交通株式会社及び同内田新治と被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチとの間では、第一、二審を通じ、これを一〇分し、その一を同被控訴人両名の負担とし、その余を控訴人両名の連帯負担とする。

五  この判決は、主文第二項(1)及び(2)に限り、仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原審A事件関係)

昭和四八年(ネ)第七三号事件

一  控訴人同盟交通株式会社(以下控訴人同盟交通という。)及び同内田新治

(一) 原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。

(二) 被控訴人両名の控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人両名の負担とする。

二  被控訴人須崎邦吉及び同須崎志げ

控訴人らの控訴をいずれも棄却する。

昭和四八年(ネ)第一一〇号事件

一  被控訴人須崎邦吉及び同須崎志げ

(一) 原判決を次のとおり変更する。

控訴人同盟交通は、被控訴人須崎邦吉及び同須崎志げに対し、各金一六四四万円(当審において被控訴人須崎邦吉は一〇二四万九七九五円、同須崎志げは一〇七四万九七九五円請求拡張)及び右金員に対する昭和四二年四月一日(請求拡張前は同年一〇月一八日)から各完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

(二) 仮執行宣言

二  控訴人同盟交通

(一) 被控訴人らの控訴をいずれも棄却する。

(二) 被控訴人らの請求拡張部分をいずれも棄却する。

(原審B事件関係)

昭和四八年(ネ)第七三号事件

一  控訴人同盟交通及び同内田新治

(一) 原判決中控訴人の敗訴の部分を取消す。

(二) 被控訴人両名の控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。

(三) 被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチは、控訴人同盟交通に対し、各二九万七五七八円及びうち一五万三四三九円(請求減縮、減縮前二九万七五七八円)に対する昭和四五年一月一三日から完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

(四) 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人両名の負担とする。

二  被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチ

控訴人らの控訴をいずれも棄却する。

昭和四八年(ネ)第四八号事件

一  被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチ

(一) 原判決を次のとおり変更する。

控訴人同盟交通は、被控訴人両名に対し、各一七九四万円(当審において各一一六五万円請求拡張)及びこれに対する(拡張前は五七二万円)昭和四二年四月一日から完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

(二) 仮執行宣言

二  控訴人同盟交通

(一) 被控訴人らの控訴はいずれも棄却する。

(二) 被控訴人らの請求拡張部分をいずれも棄却する。

第二主張及び証拠

一  《省略》

二  昭和四八年(ネ)第一一〇号事件(原審A事件関係)

(被控訴人須崎邦吉及び同須崎志げの主張)

(一) 被控訴人らの損害額についての主張を次のとおり訂正する。

(1) 亡須崎卓(以下亡卓という。)の損害

(イ) 逸失利益     二四七四万円

(算出方法は別表一のとおり。)

(ロ) 慰藉料       三〇〇万円

(ハ) 父母である被控訴人両名の各二分の一宛の相続分     各一三八七万円

(2) 被控訴人らの固有の損害

(イ) 慰藉料      各二五〇万円

(ただし、亡卓の慰藉料が認容されない場合 各四〇〇万円)

(ロ) 葬儀費用       各八万円

(3) (1)(ハ)及び(2)(イ)(ロ)の合計額  各一六四五万円

(4) 損害の填補    各一五〇万円

(5) (3)から(4)を控除した額  各一四九五万円

(6) 弁護士費用    各一四九万円

原審と当審では受任した弁護士が異なるところ、被控訴人らは、原審訴訟代理人に対し、昭和四二年九月手数料五〇万円、同四八年二月謝金五〇万円を支払い、当審訴訟代理人に対し、当審判決言渡日に原判決との差額を基準とした報酬を支払う旨約した。したがって、被控訴人らの損害額各一四九五万円の一五パーセントを昭和四二年三月末日現在の現価に換算した各一四九万円が弁護士費用である。

(二) よって、被控訴人両名は、控訴人同盟交通に対し、請求を拡張し、各一六四四万円(旧請求額被控訴人須崎邦吉は六一九万〇二〇五円、同須崎志げは五六九万〇二〇五円)及びこれに対する昭和四二年四月一日(旧請求、昭和四二年一〇月一八日)から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(三) 控訴人同盟交通の後記主張は否認する。

(控訴人同盟交通及び同内田新治の主張)

(一) 亡卓の父母である被控訴人両名の各法定相続分が二分の一であること及び被控訴人らの損害が各一五〇万円の限度で填補されていることは認めるが、その余の事実は知らない。

(控訴人同盟交通)

(二) 仮に、被控訴人らが控訴人に対して損害賠償請求権を有するとしても、被控訴人らが当審において請求を拡張した部分は、昭和四四年一二月二八日の経過をもって、時効により消滅した。

三  昭和四八年(ネ)第四八号事件(原審B事件関係)

(被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチの主張)

(一) 被控訴人らの損害額についての主張を次のとおり訂正する。

(1) 亡鈴木正(以下亡正という。)の損害

(イ) 逸失利益     二五〇〇万円

(計算方法は別表二のとおり。)

(ロ) 慰藉料       三〇〇万円

(ハ) 父母である被控訴人両名の各二分の一宛の相続分     各一四〇〇万円

(2) 被控訴人らの固有の損害

(イ) 慰藉料      各二五〇万円

(ただし、亡正の慰藉料が認容されない場合 各四〇〇万円)

(ロ) 葬儀費用       各八万円

(3) (1)(ハ)及び(2)(イ)(ロ)の合計額  各一六五八万円

(4) 損害の填補     各七五万円

(5) (3)から(4)を控除した額  各一五八三万円

(6) 弁護士費用    各二一一万円

原審と当審を通じて受任した弁護士は同一人であるから、被控訴人らの損害額各一五八三万円の二〇パーセントが報酬額となるが、これを昭和四二年三月末日現在の現価に換算した各二一一万円が弁護士費用である。

(二) よって、被控訴人両名は、控訴人同盟交通に対し、請求を拡張し、各一七九四万円(旧請求額六二九万円)及びこれ(旧請求額各五七二万円)に対する昭和四二年四月一日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(三) 控訴人同盟交通の後記主張は否認する。

(控訴人同盟交通及び同内田新治の主張)

(一) 亡正の父母である被控訴人両名の各法定相続分が二分の一であることは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) (控訴人同盟交通)

仮に、被控訴人らが控訴人に対して損害賠償請求権を有するとしても、被控訴人らが当審において請求を拡張した部分は、昭和四四年一二月二八日の経過をもって、時効により消滅した。

四  当審における新たな証拠《省略》

理由

一  当裁判所は、当審における弁論及び証拠調の結果を斟酌し、更に審究した結果、被控訴人須崎邦吉及び同須崎志げの控訴人同盟交通に対する本訴請求は、被控訴人須崎邦吉が一三九四万三六六六円、同須崎志げが一三四四万三六六六円を求める限度において理由があり、被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチの控訴人同盟交通に対する本訴請求は、同被控訴人両名が各一四七〇万二四〇二円を求める限度において理由があり、原審認容にかかる被控訴人四名の控訴人内田新治に対する本訴請求分は理由がある(ただし、被控訴人須崎邦吉の請求中、五〇万円についての遅延損害金の起算日の点を除く。)が、控訴人同盟交通の被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチに対する本訴請求部分(原審反訴請求部分)は理由がないと判断するものであるが、その理由については、左のとおり付加、訂正、削除するほか、原判決と同様であるから、原判決の理由(原判決二八枚目表二行目から四九枚目表四行目まで)を引用する。

1、原判決二八枚目表二行目「早朝」を「午前五時二一分ころ」と訂正し、「世田谷区」の次に「若林」を加え、六行目「橋本美代子」を「西美津子」と訂正し、二九枚目表一〇行目「実況見分調書」の次に「及びその下図である丙第五二号証」を加え、同裏二行目「乙第五号証」の次に「及び丙第五二号証」を加え、三〇枚目表三行目「調書」の次に「及び丙第五二号証の図面」を加え、五行目「チョーク」の次に「印は、原審証人後藤清の証言により、警察官である同証人が本件事故の実況見分の際に書いたものであることが認められるから、同チョーク」を加え、八行目「実況見聞」を「実況見分」と訂正し、九行目「証人栗田勝次郎」を「当審証人栗田勝次郎及び同渡辺忠美」と訂正し、一〇行目「否定的な」から同裏四行目「証言)」までの全部を「本件事故当時擦過痕として存在していた旨証言しているが、同証言は原審証人栗田勝次郎及び同後藤清の各証言に照らして、たやすく信用することができない」と改め、四行目「実況見聞」を「実況見分」と訂正し、三二枚目表五行目「三七号証」の次に「、当審証人東郷和英の証言」を加え、九行目「証拠は未だ十分でないとせざる」を「に足りる証拠は存在しないものといわざる」と改め、末行目「五号証」の次に「及び丙第五二号証」を加え、同裏一〇行目「痕を」を「痕の」と訂正し、三三枚目表二行目「まず、」を削り、四行目「聞となった」を「分をした」と訂正し、六行目「別の」の次に「先行」を加え、七行目「いない。」を「おらず、かえって、原審及び当審証人後藤清の証言によると、同事故の際のガラス破片等は掃除されていたことが認められる。」と改め、八行目冒頭から三四枚目表七行目までの全部を削り、同八行目「(五)」を「(四)」と、三五枚目表一行目「(六)」を「(五)」とそれぞれ訂正する。

2、三五枚目表三行目冒頭から四五枚目裏七行目までの全部を次のとおり改める。

「(イ) 事故現場

《証拠省略》によれば、本件事故の現場は、環状七号線が常盤橋陸橋の下をくぐり抜けるため下降し、上昇するトンネル道路状になっている場所であり、右現場付近において環状七号線は、大森方面から板橋方面へ向ういわゆる外回り線(以下外回り線という。)が二車線、その対向車線であるいわゆる内回り線(以下内回り線という。)が二車線の合計四車線に分れている(以下外回り線、内回り線のいずれについてもセンターラインに接する車線を中央通行帯、外側の車線を道縁通行帯という。)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ロ) 衝突終了時の両車の状況

《証拠省略》によれば、軽自動車とタクシーの衝突が終了したときの状況は、軽自動車の左側面にタクシーの前頭部が深く食い込み、軽自動車が大破していたこと、タクシーの停止位置はタクシーの通行区分帯である内回り線のうちセンターライン寄りの中央通行帯内であり、そのタクシーの車体はセンターラインに対して若干の角度をもち、前頭部を進行方向に向ってやや(おおよそ三、四度)左に傾けた状態に位置していたこと、タクシーの前頭部をその左側面に食い込ませた軽自動車は、車体の左側面中央部付近を中心としてその破壊が著しく、軽自動車に加えられた力は、おおむね左側面中央部付近に集中したこと、その前頭部及び後尾部の破壊は必ずしも中心をなすものではなく、現に前頭部左端付近に存するヘッドライトはレンズが破壊されないまま残っていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(ハ) 車体の付属物の飛散

《証拠省略》によれば、内回り線の道縁通行帯付近を中心として、軽自動車の車体の屋根の部分、バッテリー、ジャッキ、タイヤ、ゴム枠、帽子、ホイルキャップ、ボール等が飛散していたこと、これらの車体の付属物の飛散位置は、別紙第三図面(乙第五号証の本件実況見分調書添付図面)に表示されたとおりであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(ニ) タクシーのスリップ痕

《証拠省略》によれば、タクシーのスリップ痕として、内回り線の中央通行帯に一四・四メートル(進行方向に向って左側)と一四・八メトール(同右側)の二条が残っていたこと、右スリップ痕の始点は後記(ヘ)で説明する常盤橋陸橋の下、道路の最低地点付近の外回り線道縁通行帯にあった水たまりから直線で約四七メートル位の距離にあることが認められる。そして、《証拠省略》によれば、控訴人同盟交通の社員守屋賢司が本件事故現場を撮影した写真(これを図示したものが原判決三一枚目表の図面である。)には、その位置及び形状からタクシーのものであると認められるスリップ痕が撮影されており(同写真図に(B)として表示されている。)、その状態を観察すれば、右スリップ痕はセンターラインに平行ではなく、その二条のスリップ痕の各後方への延長線は、それぞれ若干(おおむね三、四度)の角度をもってセンターラインと交わる関係にあることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。更に、右スリップ痕の終点には、タクシーの車体が停止していたことは前顕証拠からも明らかであるから、右スリップ痕のセンターラインに対する角度は、タクシーの停止時の車体のセンターラインに対する角度と一致することは当然である。

(ホ) ガラス破片、泥土

《証拠省略》によれば、本件事故現場付近には、タクシー及び軽自動車の車体から飛散したガラス破片が広範囲に落下していたが、とりわけ前記タクシーの停止地点の北方、センターライン上に蓋を出しているマンホール(それは常盤橋陸橋の下、前記トンネル道路の最低地点から板橋方面に六四・二〇メートル進行したセンターライン上の地点にある。右地点は、右トンネル道路の北口((右道路側壁の北端にある水銀灯を通過する直線がセンターラインと直角に交る点とする。))から逆に大森方面に進行すれば九九・四五メートルの距離に位置する。前記写真図に「マンホール」と表示されている。)付近にガラス破片と泥土と認められるものが、比較的大量に二個所にわたって落下していたこと、右落下物の二つの集団相互間の距離は約三・五メートルであること、落下地点は外回り線中央通行帯のセンターライン寄りであったこと、本件事故の捜査に当った世田谷署の警察官(後藤清)が実況見分にあたり落下地点に白チョークで二個の不正規な円形を描いて、確認の印を付したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(ヘ) 水たまり

《証拠省略》によれば、常盤橋陸橋の下、道路の最低地点付近の外回り線道縁通行帯の路肩に水たまりのあったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ト) タクシーの走行状態

《証拠省略》によれば、タクシーは、衝突前、少くとも時速七〇キロメートル以上の速度で走行していたことが認められ(原審における控訴人内田本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できない。)、更に前顕証拠によれば、タクシーは衝突前、左右に大きくハンドルを切った事実のないことが窺われ(もし、タクシーが左右に大きくハンドルを切ったとすれば、前記タクシーの走行速度から考えて、乗客の西美津子の身体も大きく左右に揺れたはずである。ところが、前顕証拠によれば、運転免許証を有し、自動車運転の経験を有し、かつ、日頃自動車に乗るときには急制動の場合に備えて足を踏張る習慣をつけていた同女は、そのままの姿勢で衝突の衝撃を受けたというのであって、このことは足の踏張りを崩すような左右の揺れがなかったことを示すものといえよう。)、右各事実に《証拠省略》を総合考察すれば、タクシーは、衝突直前、時速約八〇キロメートルの速度で直進していたものと認めるのが相当であり、原審における鑑定の結果中右認定に反する部分は採用しない。ところで、前記認定のとおりタクシーは衝突後前頭部を進行方向に向ってやや(おおむね三、四度)左に傾けた状態で停止し、その後方への延長線が若干(おおむね三、四度)の角度をもってセンターラインと交わる関係にあり、その車体のセンターラインに対する関係も同一であったのであるから、特別の事情がない限り、タクシーの前記直進コースは、外回り線からセンターラインを越えて内回り線に復するコースであったと推認するのが相当である。《証拠省略》によると、事故車輛の各重量は、各二名の乗員の重量を加えると、タクシーは約一、三六〇キログラム、軽自動車は約五二〇キログラムで、前者が圧倒的に重く、かつ、衝突時に、軽自動車は重力の約一三〇倍位の衝撃力を受けたのに対し、タクシーの受けた衝撃力は重力の約一〇倍位であったというのであるから、想定として、衝突前内回り線をセンターラインに平行に走行していたタクシーが衝突の衝撃力によって方向転換をし、前頭部を進行方向に向って左に傾けて走行、停止したとみる余地はほとんどないとすべきである。

以上説明したところによれば、タクシーは、本件衝突前、なんらかの原因で自車の通行区分帯である内回り線からセンターラインを越えて外回り線内に侵入し、次いで内回り線に復すべく走行していたことが明らかである。

ところで、従前内回り線を走行していたタクシーが、本件衝突前、何故センターラインを越えて外回り線内に侵入し、更に内回り線に復する方向で走行していたかは必ずしも明らかでない。しかし、《証拠省略》によると、本件事故当時、タクシーの運転者であった控訴人内田は運転歴は長かったが、年令五六歳であり、しかも、事故前日午前八時に就労してから事故当日午前五時二一分本件事故を起惹するまでの間、通算三時間程度の仮眠しかとっていなかったことが認められるから、控訴人内田がトンネル北口に差しかかる前辺りから瞬間的な居眠状態となり、徐々に外回り線に出、これに気付いて内回り線に復しつつあった可能性が充分考えられるところである。あるいは、《証拠省略》によれば、環状七号線道路の本件現場付近は、北口方面から平面的にみると、常盤橋陸橋下を屈曲点とする逆「く」の字形の緩いカーブを成し、立体的にみると、内回り線は常盤橋陸橋下まで下り勾配を成しているため、早朝車輛の往来の少い時刻には、運転者の心理としては、前記カーブを大廻りに、センターラインを越えて外回り線に侵入して走行する方向に導き易い地形であることが認められるので、控訴人内田がこのような心理に陥ってセンターラインを越えたとみる可能性もなしとしない。

(チ) 軽自動車の走行状態

《証拠省略》によれば、タクシーを運転していた控訴人内田は、衝突前、対面から走行してくる軽自動車を前方に現認した時期があり、そのとき軽自動車は外回り線中央通行帯を直進していたこと、東京都公安委員会の指定により、本件事故現場付近の速度の最高限は時速五〇キロメートルと定められていることが認められ、右各事実及び《証拠省略》を総合考察すれば、本件衝突前軽自動車は、外回り線中央通行帯を時速四〇ないし五〇キロメートルの速度で直進していたと推認するのが相当である。とすると、何故、前述の衝突終了時の両車の接触状態から推察しうるように軽自動車の左側面中央部分とタクシーの前頭部とが激突する状態が発生したのか。右のような衝突が発生するには、外回り線中央通行帯を直進していた軽自動車がその左側面等をタクシーの前頭部に曝す位置になければならないことは明らかであり、そのためには軽自動車自身が進行方向に向って右方に転把したとみなければならない。問題は、軽自動車をして右方に転把させた原因如何であるが、この点は必らずしも明らかでない。

《証拠省略》によれば、亡正は前夜東京都品川区旗の台で友人らと忘年パーテイを行い、なにがしかのアルコール飲料を飲み、事故当日は旗の台の友人宅で午前一時頃から、三、四時間程度しか寝ておらず、午前五時過頃友人宅を出発したものであることが認められるが、亡正の飲酒量については、《証拠省略》により、同人は乾杯の時にビールに口をつけた程度であると認められるから、本件事故当時前夜のアルコールが残っていて、睡眠時間の僅少と相俟って、亡正がタクシーの動向と無関係に居眠運転を犯したと認めることは無理である。また、軽自動車が外回り線中央通行帯を進行していた以上、前記認定の水たまりが軽自動車の運転操作になんらかの影響を与えるという蓋然性はさして大きくないとすべきである。本件において、もっとも自然に推論しうるのは、亡正が外回り線に侵入走行してくるタクシーを発見し、狼狽して反対車線である内回り線に逃げてやり過すため右に転把して走行したという事態である。この場合、軽自動車としては、左に転把して道縁通行帯に逃げるべきであったということは一応首肯できるのであるが、突嗟の場合のこととて、タクシーが更に深く外回り線に侵入して道縁通行帯にまで走行してくるものと判断して、道縁通行帯への回避を止めて、内回り線に逃げ込むのをよしとする考えがよぎって、そのような行動に出たということもありうべからざることではない。この点は前顕丙第九二号証の記載からも裏づけることができる。

(リ) 衝突地点

本件衝突地点が前記認定のタクシーの走行経路(スリップ痕の後方延長線)上に位置することはいうまでもない。

ここで注目すべきは、前記マンホール付近に落下していたガラス破片と泥土の二つの集団である。《証拠省略》によれば、本件事故当日の午前一時三〇分ころ発生した訴外浜田車による事故のあと、付近の現場はきれいに掃除されたことが認められ、更に、前記認定のとおり、本件事故の捜査に当った警察官によっても右ガラスの破片と泥土は確認の印が付されたのである。したがって、特段の事情がない限り、右ガラス破片と泥土の集団は本件衝突事故によって飛散落下してできたものと推認するのが相当である。そして、本件事故現場に広範囲にわたり、疎らに存在するガラス破片は、本件衝突によって粉砕されたガラス片が八方に飛散したものであるが、前記ガラス破片と泥土の集団は遠方から飛散してきたものではなく、至近距離から落下したものと考えざるをえず、このこと及び《証拠省略》を総合考察すれば、右ガラス破片等の集団の存する外回り線中央通行帯内の前記マンホール付近から更に北へ約三・五メートル離れ、かつ、右通行帯内でセンターラインのわずか西側のガラス破片、泥土等の落下していたあたり(以下甲点付近という。)が本件衝突地点であると推認するのが相当である。

(ヌ) まとめ

(a) 以上説明したところ及び《証拠省略》をあわせ考えると、本件事故は、センターラインを越えて軽自動車の通行区分帯である外回り線中央通行帯に侵入した控訴人内田の運転するタクシーが、自車の通行区分帯である内回り線に戻るべく、センターラインと若干(おおむね三、四度)の角度をもって時速約八〇キロメートルの速度で直進し、甲点付近に達したところ、その付近で対面から進行し、右に転把した軽自動車の左前輪のあたりに左前バンパーあたりを激突させ、ついで、その衝撃により横向きになった軽自動車の左後輪から左側面にかけての部分に、前頭部を激突させる形で衝突し、タクシーは軽自動車に食い込む形で、そのままセンターラインを越えて内回り線に復しつつ、前記スリップ痕を残しながら、その終点においてようやく停止したものであると認められる。

(b) 衝突地点の確定とスリップ痕の始点及び車体付属物の飛散状況との関係

タクシーのスリップ痕の始点は常盤橋陸橋の下、道路の最低地点付近の水たまりから直線で約四七メートルの距離にあること、軽自動車の車体から飛散した付属物の位置関係は別紙第三図面に表示されたとおりであることは前記認定のとおりであるから、結局、右スリップ痕の始点の東側及びその南方に広く散乱していたことになる。このことと当裁判所が甲点付近を衝突地点と認定したこととはなんら矛盾するものではない。けだし、本件事故は、時速約八〇キロメートルの高速で走行していたタクシーが重力の約一三〇倍位の衝撃力をもって軽自動車に激突したものであるから、前記付属物などがタクシーの進行方向に添ってかなり遠方へ飛散することは十分考えられるのであり、また、すべての交通事故において、スリップ痕の始点が、必ずしも衝突地点を示すものでないことは多言を要しないところである。

なお、《証拠省略》によると、甲点付近からタクシーのスリップ痕の始点までの約一〇数メートルの間にスリップ痕又は擦過痕が付着していなかったことが認められる。

しかし、前記認定のとおりタクシーは秒速に換算すると約二二、二メートルの高速で進行していたものであり、甲点付近で軽自動車と激突してその速度が多少減じたとしても、軽自動車はタクシーよりも相対的に軽量であるから、たとえ両車の衝突の角度を考慮に容れても、必ずしもタクシーの速度を大幅に減少させる結果とはならず、このこと及び《証拠省略》を総合考察すれば、タクシーは衝突後もおおむね時速四〇ないし五〇キロメートル程度の高速を保持していたものと推認するのが相当である。そして、時速四〇キロメートルを秒速に換算すれば、毎秒約一一、一一メートルの速度となるが、右の速度をもってしても、甲点付近からスリップ痕の始点までの距離を走行するのにわずか一秒余しか要しないのであるから、衝突によって軽自動車がはねとばされ、右時間中、スリップ痕又は擦過痕を残さない程度に地表に車体が接触しなかったとみても必ずしも不自然ではない。したがって、甲点付近からタクシーのスリップ痕の始点までの路面上に軽自動車のスリップ痕又は擦過痕が存しないことはなんら奇異なことではない。

(六) 結論」

3  四五枚目裏八行目「よって」を「以上の次第で、本件事故につき」と改め、四六枚目表二行目冒頭から七行目までの全部を「であるが、亡正に運転操作上の過失があったことを認めることはできない。」と改める。

4  四七枚目表一行目「別紙計算書」を「別表四」と改め、九行目冒頭から同裏四行目までの全部を「労働大臣官房労働統計調査部編賃金構造基本統計調査報告等(成立について当事者間に争いのない丙第七八ないし第八二号証、第九三号証、第一〇六号証)の新高卒男子労働者の年令別平均賃金を基準とし、かつ、経験則により、その稼働可能年数を高校卒業後の昭和四二年四月一日から満六五才までとし、生活費控除を五〇パーセントとして算出するのが相当である。そこで、前顕証拠により、同四二、四三年度分は同四二年度の、同四四、四五年度分は同四四年度の、同四六年ないし同四八年度分は同各年度の、同四九年度分以降は同四九年度の各統計に基づき、各年度分の収入額を算出し、ホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して算出すると別表五の計算書のとおりとなる。

亡卓は本件事故によって生命を害されたのであるから、その精神的苦痛も甚大であったというべきである。したがって同人の慰藉料の額は三〇〇万円が相当であると認める。

被控訴人邦吉及び同志げは、亡卓の父母であることが当事者間に争いがないから、同人の右損害賠償債権(逸失利益二一九二万七三三三円及び慰藉料三〇〇万円)について各二分の一宛を相続したものというべきである。」と改め、同裏五行目「志げ」の次に、「は本件事故によりその子亡卓を失ったのであるから、その精神的苦痛を慰藉するための被控訴人邦吉及び同志げ」を加える。

5  四七枚目裏六行目の次に次の文章を加える。

「《証拠省略》によると、被控訴人邦吉及び同志げは、昭和四一年一二月二九日から同四二年三月末日までの間に各八万円の葬儀費用を支出したことが認められ、右出捐は本件事故と相当因果関係のある損害であるというべきである。」

6  四七枚目裏七行目「ついては、」の次に「原審では」を「両名のため」の次に「、また、当審では被控訴人邦吉及び同志げが各自」を加え、八行目「原告」を「被控訴人」と改め、同「委任した」の次に「(原審と当審では訴訟代理人が異なっている。)」を加え、一〇行目「原告邦吉の主張額である」を「、原審分としては被控訴人邦吉につき」と改め、末行目「円」の次に「、また、当審分としては被控訴人邦吉及び同志げにつき各九〇万円」を、四八枚目表四行目「遅延損害金」の前に「弁護士費用を除く損害金の」をそれぞれ加え、五行目「同原告」を「被控訴人邦吉及び同志げ」と、五、六行目「一〇月一八日付訴状送達の日の翌日であることを記録上」を「四月一日は叙上の損害の発生日以後であることが」とそれぞれ改める。

7  四八枚目表六行目の次に次の文章を加える。

「原審分の弁護士費用五〇万円については、被控訴人邦吉がこれを昭和四二年九月に支払ったことを認めるに足りる証拠はなく、弁論の全趣旨によると、原判決言渡後の同四八年二月に支払ったことが認められるから、同金員についての同遅延損害金の起算日は同四八年三月一日、また、当審における弁護士費用九〇万円についての遅延損害金の起算日については、同費用の弁済期は本判決確定の日に到来するものと解するのが相当であるから、本判決確定の日の翌日とするのが相当である。

8  四八枚目表九行目「九日」を「二九日」と改める。

9  四八枚目裏一行目の次に次の文章を加える。

「亡正は本件事故によって生命を害されたのであるから、その精神的苦痛も甚大であったというべきである。したがって、同人の慰藉料の額は三〇〇万円が相当であると認める。

被訴控訴人正一及び同イチは亡正の父母であることが当事者間に争いがないから、同人の右損害賠償債権(逸失利益二二一四万四八〇四円及び慰藉料三〇〇万円)について各二分の一宛を相続したものというべきである。」

10  四八枚目裏二行目「イチ」の次に「は本件事故によりその子亡正を失ったのであるから、その精神的苦痛を慰藉するための被控訴人正一及び同イチ」を加える。

11  四八枚目裏三行目の次に次の文章を加える。

「《証拠省略》によると、被控訴人正一及び同イチは、昭和四一年一二月二九日から同四二年二月一日までの間に各八万円の葬儀費用を支出したことが認められ、右出捐は本件事故と相当因果関係のある損害であるというべきである。」

12  四八枚目裏四行目「同原告らが」の次に「原審及び当審を通じ」を加え、六、七行目「五八万円(原告ら各二九万円)」を「各一三〇万円」と改め、四九枚目表三、四行目「正当である。」を「正当であるが、弁護士費用に対する遅延損害金の起算日については、同費用の弁済期は本判決確定の日に到来するものと解するのが相当であるから、本判決確定の日の翌日とするのが相当である。」と改ある。

13  四九枚目裏四行目の次に次の文章を加える。

「四 控訴人同盟交通は、被控訴人ら四名の当審における請求の拡張部分は時効により消滅している旨主張するので、判断する。

被控訴人ら四名が当審において請求を拡張した各損害部分はいずれも本件事故によって被った損害の賠償を求める債権の一部であることが明らかであるところ、本件訴状などの記載をみても、本件事故によって被った損害の一部についてのみ判決を求める趣旨であることが明示されていないから、本件各訴の提起により、被控訴人らの右請求拡張部分についても時効中断の効力が生じているものというべきである。

したがって、控訴人同盟交通の右主張は理由がない。

五 控訴人同盟交通の被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチに対する請求

軽自動車の運転につき、亡正に過失が認められないことは前記認定のとおりであるから、右過失を前提とする控訴人同盟交通の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。」

14  原判決五二枚目から五四枚目までの図面及び計算書を削る。

二  結論

叙上の次第であるから、控訴人同盟交通は、被控訴人須崎邦吉に対しては一三九四万三六六六円、同須崎志げに対しては一三四四万三六六六円、同鈴木正一及び同鈴木イチに対しては各一四七〇万二四〇二円の各損害賠償債務を負うものというべく、同控訴人は、被控訴人須崎邦吉に対し一三九四万三六六六円及びうち、一二五四万三六六六円に対しては本件不法行為による損害の発生日以後であることの明らかな昭和四二年四月一日から、うち五〇万円(原審弁護士費用相当額)に対しては同四八年三月一日から、うち九〇万円(当審弁護士費用相当額)に対しては本判決確定の日の翌日から、同須崎志げに対し一三四四万三六六六円及びうち一二五四万三六六六円に対しては前記昭和四二年四月一日から、うち九〇万円(当審弁護士費用相当額)に対しては本判決確定の日の翌日から並びに同鈴木正一及び同鈴木イチに対し各一四七〇万二四〇二円及びうち各一三四〇万二四〇二円に対しては前記昭和四二年四月一日から、うち各一三〇万円(弁護士費用相当額)に対しては本判決確定の日の翌日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があるから、これを求める被控訴人ら四名の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余の請求は理由がないものとして棄却すべきである。

控訴人内田は被控訴人四名に対し、控訴人同盟交通が同被控訴人らに対して負担する債務と同一内容の債務を負うものというべきであるが、被控訴人らは控訴人内田に対してはなんらの不服申立(控訴・附帯控訴)をしていないのであるから、原判決を控訴人内田に対し不利益に変更することが許されないことは当然である。したがって、被控訴人須崎邦吉の控訴人内田に対する請求は、四二一万四七六九円及びうち三七一万四、七六九円に対する昭和四二年一〇月一八日から、うち五〇万円に対する同四八年三月一日から右各支払ずみに至るまで右と同様の遅延損害金を求める限度で正当である。

控訴人同盟交通の被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチに対する本訴請求(原審反訴請求)はいずれも理由がないものとして棄却すべきである。

よって、被控訴人四名の控訴人同盟交通に対する控訴並びに控訴人同盟交通及び同内田の被控訴人須崎邦吉に対する控訴は右の限度において正当として認容し、その余を失当として棄却し、控訴人同盟交通の被控訴人須崎志げ、同鈴木正一及び同鈴木イチに対する控訴は失当であるから、これを棄却し(ただし、被控訴人鈴木正一及び同鈴木イチに対する原審反訴請求部分については同被控訴人両名はなんらの不服申立をもしておらず、同請求中、控訴人同盟交通の同被控訴人両名に対する各一〇万二二九二円及びこれに対する昭和四五年一月一三日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の請求を認容した原判決を同被控訴人らの利益に変更することは許されない。)、控訴人内田の被控訴人須崎志げ、同鈴木正一及び同鈴木イチに対する控訴はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九五条、第九六条、第九三条第一項を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 枡田文郎 裁判官 古館清吾 裁判官福間佐昭は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 枡田文郎)

〈以下省略〉

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